北斗の拳。ありますよね。
人によっては青春のバイブル。生き方の指針にしている人もいるかもしれません。
それくらいの大人気漫画。かく言う私も大好きです。
悪をバンバンブベラブベラ倒していく正義のケンシロウ。
しかし敵にも(ボスクラスにのみ)闘う理由があり、
拳を通じて分かり合った漢達はやがてお互いを強敵(とも)と呼ぶ。
そして北斗の兄弟、トキ、ラオウの登場。
暴力で世界を支配せんとするラオウはケンシロウの愛の力に破れ、
ケンシロウはユリアと共に何処かへ去って行く…。
感動のラストシーンです!(カイオウ?誰だそりゃ)
でもちょっと気になったことがあって。
いや、今気が付いたんですけども。
世界は凄く荒れていて、ラオウはそれをできるだけ早くまとめるために「暴力」を用いたわけですよ。
それは手段としてはちょっと短絡的だけど、荒れている世界と荒んだ人々を見れば
まぁそういう方法を取ろうとしたのも分からんではない。必要悪という言葉もある。
でも実はラオウは愛を持つ者に倒され、その人が愛で世界をまとめることを望んでいた。
そして現れた愛をまとう者ケンシロウ。
待てぃ、ケンシロウ!!
ラオウは倒れた。ユリアは助けた。
でも世界が荒れてたのは別にラオウのせいではないわけで。
支配者を失ったら更に暴徒と化すのは間違いないわけで。
ケンシロウがやったことは明らかに「木を見て森を見ない」行為だったのでは?
彼にそのつもり(王となるつもり)があっても無くても、
世界を更に荒らしたのは間接的とは言えケンシロウだったのでは?
昔憧れ、疑いもしなかったケンシロウの正義。
歳を取るに従いラオウの正義が見えてきて、段々ラオウ寄りになっていく私。
北斗の拳は色んな意味で世代を超えて読める作品なんだと思った。
みなさんも北斗の拳を読んで、世界平和について考えてみては如何でしょうか?